純:ロケーションはイメージから探すんですか、場所から何かが生まれるんですか?
園:都会的な冷たさみたいのは入れたかった、すごい綺麗に全てが整然としたビルとか、普段の日常の中では建物として
成立してるんだけれど、ものすごい無機質じゃないですか。そういうのをこだわりましたね。
純:条件があったという事ですね。
園:都市を廃墟にしたかった。
純:奥多摩にした狙いというのはあったんですか?
園:ストーリー上東京からキャンプに行ってその日のうちに帰って来れる場所、箱根なのか、
いくつかあった中で奥多摩が近いし、あとキャンプ場探していいキャンプ場が奥多摩にあって、秘境的な。
純:今考えてみれば夏じゃなきゃいけなかったのかもしれないですね。
使われてはいないけれど浴衣のシーン、花火、キャンプ、
こういったモノは大学生サークルの一つの青春の形ですもんね。
園:そうだね(笑)
純:主人公達を大学生にしようと思った理由というのはあるんですか?
園:それは僕の中で絶対的なものがあって、日本の大学生ってすごい特殊だと思うんですよ。
勉強する気もなく学校に行きそこに所属し、そこで4年間っていう時間を遊ぶワケですよね。
で、みんな気付いたかのように就職というところにまたみんなでそこに向かって行って、
またみんなそれぞれの会社に行くっていう、すごい決まりきった感じが日本独特だなって。
僕が大学生の時に感じてた事を大人から見ればくだらない事なんだけれど、
その時の彼らにとってはそれが世界の中心で、将来の不安もあったり、孤独を感じたり、考えてる事、
まあ夢とかもあると思うんだけれど、感受性がすごく高い時期。
大人になっちゃうといろんな事に納得していくと思うんですよ。
妥協というか、いろんな事の可能性が見えてくるんだよね、社会という中に入って、会社って組織の中で、
数年後の先輩に自分を重ねながら、何年後に結婚し、今は終身雇用という時代でもないけれど、
道っていうのは大体決まってくるじゃないですか。大学生というのは不安定で、いろんな人達がいて、
そこで学ぶでもなく群れて、同じ時間を共有するということが日本独特だなあって思うんですよ。
そういうのを描いた映画があまりなかったというか、例えば僕の好きな「トレインスポッティング」なんかは、
スコットランドとかウェ−ルズとかの人達の考えている事をヴィヴィッドに表現してるじゃないですか。
日本で同じ事やってる映画があったけど、それは日本の問題じゃないんですよ。
そこにドラッグとかいろんな事を絡めても日本の問題ではなくて、日本人が本当にリアルに問題としてる事って
もっと違う事なんですよ、絶対。そこをあえて描いた、それを切り取る。
だから共感できる人が、日本人には多いと思う。だから今でしか撮れなかったし、日本の大学生でしか撮れない、
それがものすごく日本的だし、日本人である僕でしか表現できない領域だと思う。
そういう意味では海外の人達にも観てもらいたいですね、今の日本ってこうなんだよって。
これが日本って理解されるかどうかは分からないけれど、海外に紹介されている日本像って全然違うから。
「和」とか本来の精神とかを描いたモノを日本だと言うと思うんですけど、僕はそういうのにすごい違和感があって。
どうしようもない幼稚な日本人、でも繊細にいろんな事を考えていて、感受性が強くて。
カメラマンにアメリカ人のトムを呼んだけれど、僕が描いた日本というのは日本人にしか描けない日本だと
思うんですよ。「ロストイントランスレーション」とか「バベル」とかが描いた日本ではない。
僕はあれに日本を見ない。それはやっぱり海外の人が見た日本だし。