1978年1月19日生まれ。立教大学法学部国際比較法学科卒。
高校時代から音楽活動を始め、大学進学後映画制作に興味を持つ。
1999年、ニューヨークに留学、映画制作を学ぶ。 初監督作品「PRIVATE EYES」が
ニューヨークで話題となり映画関係者からの推薦を受け国際映画祭に招待される。
続く中篇作品「LOVE SQUARE」は多数の国際映画祭で高い評価を得る。
帰国後はミュージックビデオやTV番組のディレクターを務め、並行して数本の短篇映画を製作。
本作「Wiz/Out」が初の長篇映画となる。
Wiz/Out公式ウェブサイト(http://www.focus-infinity.com/wizout/)
 純吉(以下、純):今日は改めて、宜しくお願いします。
 園田監督(以下、園):宜しくお願いします。
 純:監督、先ずは映画「Wiz/Out」完成おめでとうございます!
 園:ありがとうございます。


 純:園田監督の作品に「プライベートアイズ」(※1)という作品がありますよね、そのリメイク版と聞きましたが、
   初長編にこの作品でやろうと踏み切ったキッカケを教えて下さい。
 園:長編の脚本を何本も書いていて、本当にこれをやってどれだけ意味があるのかなって思ってて、
   長編っていうと時間もお金もたくさん掛かるし踏み出せない企画がいっぱいあって、
   これかなって思ったのが「Wiz/Out」だった。
   その時に一番やりたい企画ではなかったんだけれど、でも一番最初にやるのはコレかなって思った。
 純:やる事に意味があるという事ですか?
 園:さっき「プライベートアイズ」っていう話があったけれど、
   僕の中で一つ区切りを付けるという意味であの作品は始まりだったし、それを完結させるのがまず僕の第一歩。
   僕の10年ぐらいの集大成を全く新しいものではなく、今まで僕の感じてきた事や表現してきた事の集大成として
   「Wiz/Out」にしたんです。
   (※1)「プライベートアイズ」…1999年、園田新監督作品。今作はこの作品のリメイクというところから始まった、「Wiz/Out」の原点。
●何がリアルかっていうのが曖昧な時代だと思う
 純:時代に生み出されたツールを使った映画作りをされてますよね、
   3年前だったらきっとまた違う映画になっていたと思うんですが。
   「プライベートアイズ」の時にはSNS(※2)とかも無かったですし。
 園:今の東京の雑多な感じというか、そういったモノを本当に表現した映画と言うのは僕の知ってる中では
   今まで無かったんですよ。感覚的なモノ?言葉では表現できないんだけれど、僕と同じ世代だったり東京で暮らす人達は
   感じているであろう感覚、“今”を切り取って映像化してみたいというのが何よりもあって。
   携帯、インターネット、SNSとコミュニケーションのツールというのはものすごく発展していって昔よりもすごい
   便利になってるし、いろんな事を伝えやすいはずなんですよ。それなのに僕らの感じてる距離感というのはすごく・・
   断絶されているというか。こんなに便利でいつでもみんなに会えるのに、引きこもる人なんかもいて、
   もっとコミュニケーションが取れる時代なのにそうでないっていう。そういうのが今の僕らのこの・・
   人が溢れているんだけれどその中に孤独を感じるという。孤独感っていうのが今の一つの東京の姿というか、
   そういうのがあって、なんともいえない感覚を映画にできないかなと思っていました。

 純:社会現象にもなっていますが、ワーキングプアとかニートとか俗語にまでなってしまっていて、
   そういうのって10数年前、僕らが子どもの頃って無かったですよね。
   似たようなものはあったかもしれないですけれど、今みたいにはなっていなかったですよ。
   そういった意味では恐い世に中になのかもしれないですね。
   「プライベートアイズ」の時代には携帯電話ではなく公衆電話が街にいっぱいあった時代ですよね。

 園:当時はメディアといってもテレビがあって、でも今はインターネットが普及した事もあって、
   何が本当かっていうのがより分からなくなってきたんです。その人達にとってのリアルというのがそれぞれ違っていて、
   ある人にとってはPCの中でのゲームが自分の世界だっていう人もいる。
   何がリアルかっていうところが曖昧になっていて、それが7年前には無かった。
   もう一度「プライベートアイズ」を作るに当たって、その辺の要素をより反映させたかった。
   内面が重視されていくというか、どんどん内面の時代になっていってるのかも。
   それまではなんかもう、人とどうとかいうのがいっぱいあって、そんなに表と裏って違ったりはしなかったと思う。
   多分みんなが周りで見せてる顔と内面に抱えている自分というのにギャップが出てきていて、
   それが僕の中で現実と虚構という切り口で、フィクションの世界と現実世界の描き方と、現実世界でもそれぞれが
   持っているフィクション的な側面、顔、と自分の中にあるリアル、その境界線、それを対比させて2つのストーリーを
   一緒に構成しました。

 純:この映画を作りたいと言うのは、時代も反映しているんですね。今でこそという。
 園:そうですね、この映画を観た人の中では「セカンドライフの到来」を予見した、みたいな事を言ってくれた人もいて。
   ヴァーチャルな世界の中にもう一つの世界があって、その何がリアルかっていうのが曖昧な時代だなって思う。
(※2)SNS…ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略。

●この映画は、今でないといけなかった
 純:ネタばれになっちゃうんで全ては言えないんですけれども、
   「Wiz/Out」の世界って無いって誰が言い切れるんだろうと
   思ってしまうんですよね、実はもしかしたらどこかでそういった事があっても
   おかしくはないんじゃないかって。
   今回、物語のスイッチになるのは携帯だったり電波であったりしますよね。
   でもそうじゃないにしても、今世界中で年間行方不明になる人が実は
   いっぱいいるらしいんですよね。
   それって本当は異世界に行ってしまってるんじゃないかって、
   考えられなくもないんじゃないでしょうか?

 園:この映画を観終わった後に、テレビで銃の乱射事件があって、
   それが自分達の近所で起こったとしたら。ニュースで観てる事が自分の周りで
   起きた時に、それが現実のモノになったり、そういう事もあるし。
   さっき電波っていう話があったんですけど、写真家の中野正貴(※3)さんが
   面白い事を言っていて。電波が伝染して言って、目に見えないけれど、
   携帯とかテレビとか、ものすごい数の電波が飛び交っていて、
   それで人が消えたり、感染したり、人が死んでいったり、面白い恐さを感じたと
   言ってまして、そういう見方もあるんだなあと、僕は意識していなかったんで。
 純:最近では水平にも宇宙からも来ますからね、電波が(笑)。
 園:あははは(笑)
 純:いずれはバーコードで人間管理されるんじゃないかとかって言われてますしね。
 園:殺人電波みたいなのを送れば、
   人がみんな操作されたり死んでしまったりするかも(笑)
 純:あはは、恐いですね!

 園:「Wiz/Out」というのはいろんな要素を、今ある東京の一つの側面からは
   切り取れない、雑多な何かっていう感覚を一つの映画にまとめたっていうのが
   ありますね。
 純:今作らなきゃいけない意味って言うのが分かってきました(笑)
 園:今じゃなきゃ出来ない、今の時代を切り取ったモノだし、
   多分僕らと同じ世代ではコレコレっていうのがあると思う。
 純:でも、むしろ今の若い世代の方のほうが、
   より敏感に反応出来るんじゃないかとも思うんですよね。
 園:是非若い人に観て欲しいですね。
(※3)中野正貴…「TOKYO NOBODY」という写真集で人のいない東京を10年の歳月をかけて撮り、ベストセラーとなった伝説の写真家。
●日本で一番難しいところの人を消さないと
 純:今回は人がこの世界から消えてゆくというお話で
   メインビジュアルにもありますが、渋谷のスクランブル交差点を
   無人にしようとよく考えられましたよね。
 園:たぶん無人というシチュエーションをやるに当たって、
   一番説得力を持たせられるのは、最も難しい、日本で一番難しいところの
   人を消さない限り説得出来ないんではないかと、なんとなく切り取るだけでは
   納得出来ないと思ったし。
 純:正に逆転の発想ですね。
   多分ほとんどの人に聞いても、日本で一番人の多いところって
   渋谷のスクランブル交差点か新橋って答えますよね(笑)。
   でも出来ちゃいましたね!
   初めてアレを観た時には感慨深いモノがあったんじゃないですか?
 園:あ、出来たって(笑)
●日本人である僕でしか表現できない領域
 純:ロケーションはイメージから探すんですか、場所から何かが生まれるんですか?
 園:都会的な冷たさみたいのは入れたかった、すごい綺麗に全てが整然としたビルとか、普段の日常の中では建物として
   成立してるんだけれど、ものすごい無機質じゃないですか。そういうのをこだわりましたね。
 純:条件があったという事ですね。
 園:都市を廃墟にしたかった。
 純:奥多摩にした狙いというのはあったんですか?
 園:ストーリー上東京からキャンプに行ってその日のうちに帰って来れる場所、箱根なのか、
   いくつかあった中で奥多摩が近いし、あとキャンプ場探していいキャンプ場が奥多摩にあって、秘境的な。
 純:今考えてみれば夏じゃなきゃいけなかったのかもしれないですね。
   使われてはいないけれど浴衣のシーン、花火、キャンプ、
   こういったモノは大学生サークルの一つの青春の形ですもんね。
 園:そうだね(笑)

 純:主人公達を大学生にしようと思った理由というのはあるんですか?
 園:それは僕の中で絶対的なものがあって、日本の大学生ってすごい特殊だと思うんですよ。
   勉強する気もなく学校に行きそこに所属し、そこで4年間っていう時間を遊ぶワケですよね。
   で、みんな気付いたかのように就職というところにまたみんなでそこに向かって行って、
   またみんなそれぞれの会社に行くっていう、すごい決まりきった感じが日本独特だなって。
   僕が大学生の時に感じてた事を大人から見ればくだらない事なんだけれど、
   その時の彼らにとってはそれが世界の中心で、将来の不安もあったり、孤独を感じたり、考えてる事、
   まあ夢とかもあると思うんだけれど、感受性がすごく高い時期。
   大人になっちゃうといろんな事に納得していくと思うんですよ。
   妥協というか、いろんな事の可能性が見えてくるんだよね、社会という中に入って、会社って組織の中で、
   数年後の先輩に自分を重ねながら、何年後に結婚し、今は終身雇用という時代でもないけれど、
   道っていうのは大体決まってくるじゃないですか。大学生というのは不安定で、いろんな人達がいて、
   そこで学ぶでもなく群れて、同じ時間を共有するということが日本独特だなあって思うんですよ。

   そういうのを描いた映画があまりなかったというか、例えば僕の好きな「トレインスポッティング」なんかは、
   スコットランドとかウェ−ルズとかの人達の考えている事をヴィヴィッドに表現してるじゃないですか。
   日本で同じ事やってる映画があったけど、それは日本の問題じゃないんですよ。
   そこにドラッグとかいろんな事を絡めても日本の問題ではなくて、日本人が本当にリアルに問題としてる事って
   もっと違う事なんですよ、絶対。そこをあえて描いた、それを切り取る。
   だから共感できる人が、日本人には多いと思う。だから今でしか撮れなかったし、日本の大学生でしか撮れない、
   それがものすごく日本的だし、日本人である僕でしか表現できない領域だと思う。

   そういう意味では海外の人達にも観てもらいたいですね、今の日本ってこうなんだよって。
   これが日本って理解されるかどうかは分からないけれど、海外に紹介されている日本像って全然違うから。
   「和」とか本来の精神とかを描いたモノを日本だと言うと思うんですけど、僕はそういうのにすごい違和感があって。
   どうしようもない幼稚な日本人、でも繊細にいろんな事を考えていて、感受性が強くて。

   カメラマンにアメリカ人のトムを呼んだけれど、僕が描いた日本というのは日本人にしか描けない日本だと
   思うんですよ。「ロストイントランスレーション」とか「バベル」とかが描いた日本ではない。
   僕はあれに日本を見ない。それはやっぱり海外の人が見た日本だし。
●日本人の麻痺しているモノ
 純:では逆に日本人にしか撮れない日本をアメリカ人のトムに繰り抜かせたという意味、価値、
   何故日本人のカメラマンではなかったのですか?
 園:たぶん日本人のカメラマンだといろんなものが麻痺してると思うんですよ。
 純:面白い。
 園:そこにあるもの、そこで聴こえてるもの、そこにある空気とか全て当たり前じゃないですか。
   この映画を感覚で撮るっていう事に決めた時に、そこに敏感に反応できるのがたぶん異国のカメラマンである
   彼だと思うし、そこでディレクターが日本人である事で間違えない方向に切り取れると思ったんですよね。
   僕自身も麻痺してる部分があるから彼というフィルターを通さないとピックアップできないモノもあったと思うし。

 純:では彼というフィルターから発見できた事はいっぱいあったんですか?
   活字から興すイメージのズレというのもあったんじゃないでしょうか?
 園:いろんな事に意味を求めるんですよ、彼は。
   脚本云々ではなくて、カメラマンだからどう撮るかって話すと思うじゃないですか。
   どうしてこのキャラクターはこういう事を言うのかとか、一つ一つに意味を求めるんですよ。
   シーンを理解する事が彼の映像の作り方で、そこから色とか奥行きとか空間が見えてくるんだと思う。
 純:僕のアメリカ人クルーに対する印象とはかなり違いますね。
   向こうではそれぞれのスペシャリストが揃っていて、その各々の役割からはみ出さない、
   仕事を高いレヴェルでこなす職人気質なものだと思っていました。そこへの到達の仕方が違うんですね。
 園:そうですね。
   僕がもう一度原点に戻らされたのが、脚本を書いたけどそれをどう切り取るかって事に考えがちなんだけれど、
   そうじゃなくてもっと深くそこで見せるべきものが何かっていう事と、そこで生まれる感情は何かっていう事を
   理解するっていう事の最適なアプローチが画に収まるっていう。
   このシーンではもしかしたら神のような目線で見た方がいいんじゃないかとか。
   言うなればそのヴィジュアル面でのせめぎあいというか、よりいいものを撮って行く。
   勿論僕自身がこう撮りたいというのがあればそれですけどね。
   驚いたのが、トムと僕が全く同じ画をイメージしてる事が多くて、すごく感覚の近い男ですね。
   ハリウッド的な撮り方で言うと、どれだけのカヴァレージというか、パターンを撮れるというか
   それがカメラマンの仕事なんですよ。それは編集での可能性をいくつ持たせるかというのがハリウッド的なのに対して、
   トムはアジア的、もしくはヨーロッパ的なアプローチなんだと感じる。トムはシーンをまず理解すること、
   そしてその場の感覚で切り取る、撮らなければいけないモノを感じ取る。浮遊するようなカメラワーク。
   彼は三脚に置く時にも留め具に固定しないで上にサンドバックを置いて微妙な浮遊感を出す、カチッと撮らない。
   会話を撮る時にも日本語でセリフが分からないのに、感覚で撮る。
 純:正に感覚だ(笑)
●究極は『演じない』というところに行き着いた
 純:役作り、mixi、ブログなど使う事になって、難しかった事はありますか?
 園:僕は演技をしない演技というのを目指したんですよ。
   それはどういうことかというと、演じるっていうことに対する挑戦を
   したというか、僕は役者じゃないので演技論とか分からないんですけど、
   演じるというのはどういう事なのかを突き詰めた時に究極、
   演じないってとこに行き着いたというか。
   だから僕は演技を見なかったのかもしれないし、
   その役者の持つフォーマットというのは別に僕には興味はなくて、
   その人が内側からこの映画を通して発するものにしか興味がなかったから。
   そういう意味では、彼色であり彼女色であるんだけれど、
   僕色に染めていくというか。僕好みの役者さんにしていく。
 純:多くの時間、僕はみんなと一緒に役作りの一環として遊びに行ったり
   話し合ったり自主的にやっていた事に参加していたので、
   目の前でみんなの葛藤を見ているんですよ。
   夏のキャンプで自分達の運命がどうなるか知っていて、
   監督の思惑というのが見えてないところでも、
   もらっている台本でみんな最終的な着地点が見えてるワケですよ。
   みんなそれに向けて今はどこまで出していいのかとか、
   実際僕らには難しかったですね。
 園:ですよね、みんなそう思っていたと思います。
   本当に着地するかどうかというのは僕も賭けでした。共犯ですよね、
   僕が信じた人達なので。そこに到達しなければ僕の見間違い、見込み違い、
   そうならないためには僕も責任を取っていかなければいけない。

 純:こんなに好き勝手に役者がやるというのは想定外だったんじゃないでしょうか?
 園:モチベーションは僕の想像を越えましたね。
   ここまでこの人達は時間を掛けて役を作っていくのかと。
●僕が文字にする事が、こんなに人を苦しめる
 純:監督お気に入りのシーンというのはありますか?
 園:僕の中で完璧に演出し、完璧に捉えたシーンというのは水族館ですね。
   僕のイメージを実現したという意味ではね。
   他にフイを喰らったのが二ヶ所あって、一つは大学の正門前のシーン。
 純:へええ、あれの何処ですか?
 園:このシーンがこんなになっちゃうんだと。
   何でもないシーンだったのに、鳥肌が立つような感じがしましたね(笑)
 純:(笑)何でもない!?
 園:僕の中では重要な意味は無かったから、意味を持ってしまった。
   あとは、最後の視聴覚室のシーンだね。
   その時に究極これなんだ、映ってればいいんだなって。
   役者さんの中にものすごいものがあれば、出ていれば、
   それを記録するだけでいいんだって事を知りました。
 純:ラストに近い左右田さんのシーン。
   魂を削るかのような役作りの果てにカットがかかった後、
   左右田さんは泣き崩れていました。
   左右田さんに歩み寄り監督も涙を流していましたね。
 園:僕のあれは目薬ですけどね(笑)
 純:手を握って「ありがとう」って言っていたのが印象に残っています。
 園:すごいショックだった。僕が文字にするって事が、
   人をこんなに苦しめんのかなって。すごい責任を感じましたね。
   一人たりとも、映画の中で生きさせるという事は一人たりとも人間として
   扱わなきゃいけない。一つ一つのその人が発する言葉であったり
   行動であったりを書くという行為に責任をすごく感じましたね。

 純:では毎回聞いているのですが、沢村純吉とはどういう役者なんでしょうか?
 園:沢村さんは写真を見せていただいて、雰囲気のある人だなって。
   はじめは主役じゃないと思ってたんですよ。
   実際呼んでみたらなんか一哉に近かったというのもあるし、
   全然写真の印象と違ったんですよ。ものすごい人懐っこくて感じが良かった、
   人として好印象で何かを一緒にやりたい人だなって思いました。
 純:嬉しいですねぇ。なんかイイ気持ちになってきました(笑)
 園:(笑)話していく中でぐいぐい入り込んで来たんですよ・・・ズケズケと(笑)
   自分の事をいっぱい話す人が多かったんだけれど、
   自分をプレゼンするというよりかは、普通に話していく中でいつの間にか
   プレゼンされちゃったというか、刷り込まれた感じ。
 純:へぇぇ、どんな魔法を使ったんだろう(笑)
 園:結局心地よい空気感があって、なんか使ってみたいなというのがあって、
   ふいに見せる笑顔とかが好きだった。

 純:オーディション時にあんまり質問もされなかったし、
   芝居を見せてくれとも言わない。正直「あ、ダメだなこれは」と思っていました。
 園:でも決まりました。オーディション終った瞬間に僕は
   「一哉決まりましたよ」ってプロデューサーに言いましたよ。
 純:そしたらプロデューサーが「本当に!?」って?(笑)
   役者っていうのはオーディションでは選んでもらう立場で、
   自分の意思とは関係ないところで決められる、その段階では底辺の部分ですよね。
   芝居しないオーディションって、そんなのあるのかなって思ってました。
   だって、映画を作るっていう事は監督さんが人生を賭けてやるもので、
   そのキャストのオーディションで芝居見ないで決めるなんて。
 園:それが僕のやり方ですから。
   今までいろんな人に会って来たので、分かりますよ少し話せば。
   NYでものすごい役者と写真を見て決めなきゃいけなくて、感覚で選ぶっていう。
 純:また来た感覚!
 園:わかんないじゃん、僕もそんなに英語出来るワケでもないし、直感だよね。
   その人が持つ空気感とか、話していく中で不意に見せる表情とか。
 純:では2年という歳月が経って、当時は使う側と使われる側の上に緊張もあり、
   あれから全てが終り、監督から見て僕は何か変わりましたか?
 園:変化はありますね、なんか今はストンと落ち着いたような気がする。
 純:幼少時代、何でも出来たりスポーツが出来たり人前で意見が言えたりする人が
   羨ましくて、僕は自分が劣ると思っていたんです。当時の自分は根暗というか
   読書とか絵を描くのが好きで。そこから抜け出したくてそうなったはずなのに、
   満たされているようで満たされていない、理想の自分になったつもりが
   なってないみたいな(笑)
 園:なのにそんな役が来ちゃった?(笑)
 純:いえいえ(笑)そういうところが「Wiz/Out」は似てるのかもなって。
   何かわからないけれど、抜けているみたいな。
   足に蔦が絡まったような感じ、そのしがらみから逃げたかった。
   だからまさかそんな役をやることになるとは思っていなかったですね。
   そういうのを受け入れる事が出来るようになって、
   僕もウィズアウト出来たのかもしれません(笑)

 園:おっかない感じが好きなんですよ、それは危険というよりか・・
   見てておっかない。一度として同じものが出てこないという、
   その不安定さがすごい魅力的ですね。
 純:あはははは、危ねぇ〜(笑)
 園:はははは(笑)捉え方によるんだろうけど、そこがいいかな。
   その危うい感じが映像の中でも、いい意味の存在感になってる気がする。
 純:見る人によって全然違うんですね、
   今回3回通してそれぞれの監督から同じ事を一つも言われてないです(笑)
 園:クランクイン前日にダメ出しをした事もあるし、その一方で翌日来た人は
   全然違う人だったし、すごい不安定な感じ。そこがまた面白いですね。
   感性というか肌で感じて何かを出していくっていうタイプなんですね。
   沢村さんがどこまで追い込んだかによって全然映るものが違うから、
   本番ではストンと入ってるんですよ。いい空気を持っていると思います。
 純:ありがとうございます。では一哉(沢村)のお気に入りのシーンは何処ですか?
 園:「Wiz/Out」の中で一番「Wiz/Out」っぽいのが、
   沢村さんが渋谷を歩いてるシーンですね。
   映画の中でどんどん変化していくってのはよく出来たかな。
 純:28にして20歳の役ですからね、むしろはじめの段階の方が苦労しました(笑)
●感覚を映像化することを突き詰めたい
 純:次の作品も考えてるんですか?
 園:常に考えてるんですけど、やりたいようにやったモノで今後もっと
   やりたいようにやるのか、もうちょっと押さえていくのかというのは
   見定めているところですね。
   やりすぎで伝わらなかった事をそれで良しとするのか。
   僕の作品は分かりやすく綺麗に作ると、評価がいい事が多いんですよ。
   「Wiz/Out」はそういう風に作ってないから、こんな風のもアリでしょ?って
   いうのを分からなくとも詰め込んだから。次の目標も決まっているんですよ。
   僕は感覚を映像化することを突き詰めていきたいと思っているんですよ。
   映像でしか出来ない、僕が映画を始めるきっかけとなったウォン・カーウァイの
   映画を初めて観た時に感じたもの、ものすごい圧倒的なもの、
   感覚が流れていったんですよ。
 純:あ、分かる。
 園:それを僕は僕なりのやり方で表現を追及したい。
   もっと密度の高い圧倒的なものを目指したい。
   言葉を超えた何か、その域まで映画はいけないかなって思うんですよね。

 純:では最後になりますが、皆さんに一言コメントをお願いします。
 園:今この時代を生きていく中で僕が感じ、みんなも感じているであろう事を
   映像という形で伝えたい。それを今の時代の人達に“今”観てもらいたい。
   本当にみんなが今まで観て来た映画とは違うテイストの映画です、
   それをあるがまま“感じて”欲しいです。

 純:今日は本当にお忙しい中、ありがとうございました。
 園:ありがとうございました。

主演作3連続公開記念イベント、第三弾として園田新監督に来ていただきました。 最近メディアで取り上げられる事も多く、なるべく僕でしか聞けない事を聞こうと思っていたのですがいかがだったでしょうか? 構想からはじまり、この日までの全てを計算し実践してきた園田監督も、質問に対する返答にはとても時間をかけ、一言一言考えながら答えてくれました。 。

「今の時代」と「感覚」。 この言葉を何度も繰り返すところに、言葉だけでは伝えきれない想いを感じる事が何度もありました。 スチールは実際園田監督を知っている方なら、驚かれるかもしれません。 飛んだり跳ねたりしてますから(笑)

実はね、過去にないぐらい時間をかけていろんな事を聞かせてもらったんですが、あまりに量があり過ぎてほとんどカットです(笑) 本当にお疲れ様でした 実はこの企画当初は3回でと決めていたのですが、急遽年内に公開の決まった作品がありまして。 なんと第4回を12月にやる事になりました。 続いて第4弾は、12月22日から渋谷Q−AXで公開の決定した「アディクトの優越感」の藍河兼一監督にご来店いただきます。 乞うご期待下さい!!

<今回のカフェ>
元町 汐汲坂ガーデン
open 11:00-22:00
横浜市中区元町3−145
Phone 045-641-5310


●今回の三連続企画のカメラマンです。
<フォトグラファー>
門田博喜
1983年生まれ
放送芸術学院卒業後、テレビ局の報道でカメラアシスタントを経たのち
映像クリエーターとしてフリーになり、音楽PV、イベント映像、ショートムービーなどを制作。
平行してファッションショーやポートレートを中心に写真を撮る。
http://www.flickr.com/photos/17702785@N00/show/